社員の独り言

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宅建チャレンジ記

思い返せばそれは一昨年(H29)の暮の事でしたが、ふと思い付いて「何か資格を取ろうかな、冥土の土産に。会社でも社員に資格取得を奨励していることだし。それに自分の場合はボケ防止になるかも‥‥。」と考えたのが発端で、その結果年明けから秋までの数カ月の間人知れず四苦八苦する羽目になったわけであります。

まずはターゲットを、“ポピュラーでそこそこ歯ごたえがありそうで、かつ現在の職場にも関係がありそうなもの”ということで「宅建」に定め、とにかく取り掛かろうじゃないのと市販の対策本なども見てみたわけですが、しかし、そういう本だけでは秋までの長丁場を緊張感を持って乗り切れそうにもないなと思い、結局少々費用はかかるものの継続的に勉強を進められる通信教育にしようと考え、インターネット上でたまたま目についた「U-CAN」に申し込んで、いざ勉強開始と相成ったわけであります。

さて、そこから苦節ウン箇月、冬が過ぎ春が過ぎて夏も過ぎ、秋も半ばの10月21日の午後1時、所は本宿の人間環境大学241号室の指定された席に座っている自分が実は何となく不思議に感じられたわけではありますが、それとともに、その部屋に集まった老若男女100名近くの受験者の中で合格者は1割程度かぁというある種の感慨を含め、就職試験以来ほぼ半世紀ぶりの真剣勝負の趣に年甲斐もなくドキドキ・ワクワクの心持ちになったものでありました。

この試験というのが、50問の4択を2時間で解くというもので、多少の余裕を見ると1問あたり2分くらいで片付けないと時間切れアウトとなりかねません。

“択一式ならある意味答えが問題の中に書いてあるんだからそんなに苦労せんだろう”と思うのはとんでもない話で、とにかくヒネリにひねり、引っ掛けに引っ掛けまくった問題ばかりといっても過言ではなく、しかもほとんどは細々とした重箱のスミ的な内容ときては、それこそアイスノンで頭を冷やしながらやらないと若い人はともかくご老体はとても2時間持たないなぁ~というのが実感でした。

悪戦苦闘の末、それでもなんとか時間内に50問をやっつけて退室するころには疲労困憊の体であったことは皆さんにもご想像いただけるのではないでしょうか。

結局、悪運が強かったのか12月5日の発表の日には合格者の受験番号の中に自分の番号を見い出すことが出来たわけですが、正直言って「やれやれ終わったか。助かったぁ。」という心境ではありました。

なにしろこのために相当な時間を費やし努力も重ねましたし、何よりも日々テキストを見ていても淋しいことに少し前に憶えたこともすぐ忘れてしまう有様で、過去問などを解くたびにガッカリしていたあの焦りにも似た気分からやっとオサラバ出来ることになったわけですから。

しかし、何はともあれいろんな意味で相応の充実感は心に残っており、これもまた人生の良き思い出の一つといえるのかもしれません。


柴田さん

バイクからチャリへ

2年ほど前に長年親しんできたバイクから足を洗いました。
もともとは学生時代から乗り回していたのですが、お決まりの「子供が生まれて…」で封印してから二十数年ののち、これまたよくあるリターンライダーとして復帰して乗り始めたのが《カワサキ・バルカン400》。ところがこいつが図体はでかいのにパワー不足のため走っていてもイライラが募るばかり。
そのうっぷん晴らしもあって乗り替えたのが《スズキGSX1400》という当時国産では一番排気量のでかいバイクでこれがまたよく走ったのなんの。信号GPでは常にぶっちぎりで気分爽快の日々。ただ、そうはいってもやはり”トシ”のことがちらりと頭をかすめ、すぐにアクセルを戻して流れに乗っての模範運転となるのが常でしたが。

美瑛の丘ケン・メリの木の前で.jpg
このバイクでは実によくツーリングに出かけました。近場へは毎週のように、3泊4日クラスのちょっと長目のツーリングにも時機を見ながら結構頻繁に。
真夏の能登半島一周では暑さでバテてヘロヘロになり、和歌山県の高野龍神スカイラインをブッ飛ばした後で泊まった宿坊の坊さんからは少々説教じみたお話を聞かされ、西伊豆スカイラインでは強風で危うく崖から転げ落ちそうになったり、呉の大和ミュージアムを見てから四国へ渡り室戸岬を周って帰る長いコースでは疲労困憊のあまり居眠り運転状態になったりと、とにかく良くも悪くもいろいろな思い出がありますが、ハイライトは何と言っても長年夢見たライダーの聖地北海道一周の一人旅。
敦賀からフェリーに乗って2日後にあこがれの地に降り立った時にはトシを取ってから絶えて久しくなかった『感激』の心持を味わうことになりました。
65歳のジイさんは妙に元気で事故も起こさず病気もせずに2週間後充実感を胸に無事に帰ってきましたが、周囲の目は「よくやるよ…。」という感じ。ジイさんライダーも結構沢山走っていたんですけどねぇ。

クロスバイク.jpg
それはともかく、私もそれなりに考えていまして、事故ったりして「年寄りの冷や水だ、ミットモナイ。」といわれる前にバイクには区切りをつけると決めており、それが65歳。ですから自分の中での最後のチャンスで一つの夢をかなえることができたわけです。
ライダー卒業後は健康のことも考え2輪がやっぱり好きだからということもあってチャリダーに変身。
しかし、ママチャリと違って最初はなんだか乗りにくいしバイクと違って疲れるし尻は痛くなるし、の状態だったわけですが、最近は風を切ってしかも自力で走っていくのはやっぱりいいもんだとの気持ちを新たにしています。
人生の中には自分自身で区切りをつけていくべき場面がいくつもあります。
ただバイクに関しては、実は自分ではまだまだ乗りこなせると当時は思っており、あらかじめ自分で決めたことながら内心では未練たらたらだったわけですが、今ではその時の決断は正解だったと思っています。
チャリンコを相棒にしてから、以前はかなりせっかちだったのが多少スローライフ的な生き方に変わってきたかなと思う今日この頃ではあります。


柴田さん
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